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伽羅美酒 750mlx1 お酒です。(限定代理販売)

¥10,000 税込

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山ぶどうワイン・日本産在来種(岩手県産)アルコール12%

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また、お酒を飲んで車輌の運転は絶対にしないでください。妊娠中授乳期間の飲酒は健康に影響がございます。

伽羅美酒にまつわる歴史

400年前に私たちの地元・福岡県京都郡みやこ町犀川大村地区は、2代目小倉藩主・細川忠利が治める豊前国にありました。ガラミでワインを造ったという記録は、細川家の古文書に記されており、忠利が家臣に命じてぶどう酒を造らせていたという内容でした。※1

なぜ細川小倉藩はワインを造ったのか。

キリスト教の信者は九州に多く、初代の小倉城藩主・細川忠興の妻、細川ガラシャ(玉)もキリシタンでした。この時すでに幕府によるキリスト教信仰が禁止されていたにもかかわらず、当時の小倉藩はキリスト教に寛容だったと伝えられています。実際に小倉藩には、数多くのキリシタンがいました。

キリスト教ではワインはイエスの血を表すものであり、ミサにワインは必需品とされています。禁教令に反しても藩主・忠利がワイン造りを命じた背景には、1600年に壮絶な最期を迎えた忠利の母・ガラシャを偲ぶ、強い想いがあったのかもしれません。

また1612年には徳川家康がキリシタン禁令を施行し、1614年にはキリシタン大名の追放が始まりました。禁教令のあとはワインの流通が減り、ミサに使うワインの入手が容易ではなかったことも影響しているでしょう。

細川小倉藩のワイン造りは1627年から1630年の4年間だったことが、熊本大学永青文庫研究センターの論文で明らかになりました。続いて2020年には、1632年8月にもワインが作られた可能性を示す資料を見つけたことも発表しました。※5

古文書の中から見つかったのは、1632年8月に忠利がぶどう酒を造るためにガラミの調達を依頼する文面でした。醸造にかかる日数が10日間、忠利の熊本入城が1632年12月であったことを考えると、細川家がワインを造らなくなったのは忠利が熊本へ移ったことと、その後キリシタンへの弾圧激化がきっかけになったことが明らかになりました。

江戸時代最大のキリシタン農民による一揆「島原の乱」は、忠利の熊本入りから4年後の1637年です。細川家は幕府軍と共に戦うこととなり、それと同時にキリシタンの飲み物であったワイン造りの歴史は幕を閉じました。

出典
※5:細川家による葡萄酒製造の下限を示す 寛永9年(1632)8月の史料を新たに発見 熊本大学
https://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2020-file/release201203.pdf

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